arT’vel -Review- : art × Travel/旅×アート レビュー

ライターKababon(旅行、旅行業、舞台芸術);旅と舞台(主にバレエ、音楽)についての覚え書き

クロ・スロ・ハン(3):クロアチア/生々しきオシイェック

遅ればせながら、クロ・スロ・ハン、つまり今回はクロアチアスロヴェニアハンガリーの周遊です。
パンノニア平原エリアといいますか、ハンガリーブダペストから南のペーチを経て、ハンガリークロアチア国境地帯のオシイェックを経由しザグレブに入り、スロヴェニア国境付近のクラピナというところにおります。

このエリアはパンノニア平原と言われるあたりで、つまりはローマ帝国の領土だったところです。
しかもクロアチアのクラピナはネアンデルタール人の遺跡で有名な場所、つまりは歴史自体はめちゃくちゃ長いわけです。

でも旧ユーゴスラヴィアクロアチアの独立は1991年。
ユーゴ内乱による多民族国家の激しくも痛々しい独立戦争の記憶も、でも今回の取材ツアーのメンバーの中にはその当時小学生だったというような人もいる…。
ってか、そういう「ソ連が過去のもの」という時代が当たり前という人たちがツアーメンバーの大半を占めている時代になってしまいました(^_^;)
ソ連時代のモスクワを経験している身としては、何やら複雑。
あーんど、否応なしに年齢を感じますわな(-_-;)

で。
今回訪れたオシイェックはその激しい独立戦争のさなかにあった町。
今はとてもそんな感じはしないほどに平穏で、トラムが走り、広場にはバロック様式のきれいな建物が建っていたりします。



戦争当時に旧ユーゴ軍が入ってこられないようにと壊された橋もすっかり修復されています。
が、確かに生々しい銃弾のあとがあちこちに残っているのですね。
戦争を経験していない身としては、やはり衝撃的です。

町の中心にある大聖堂の隣の建物も未だ銃弾の跡が残り、また聖堂の北側も相当に爆撃され、依然修復中です。





過去にはトルコやハンガリーオーストリア・ハプスブルグにと周辺の強国に支配された歴史が長いゆえでしょうか。
平日の朝7時。
大聖堂のミサにはびっくりするほどに大勢の人が訪れていました。

クロアチアカトリックの国。
独立戦争のときに小学生だった日本人がいても、こちらの小学生のなかにはその独立戦争で親戚や両親の友人が亡くなった、という人が少なくないのでしょう。
そうした波乱の歴史が最後に支えるのが祈りであり、あの独立戦争に象徴される諸民族の誇りなのかとも思わされます。