arT’vel -Review- : art × Travel/旅×アート レビュー

ライターKababon(旅行、旅行業、舞台芸術);旅と舞台(主にバレエ、音楽)についての覚え書き

ハンガリー革命記念日に:欧州は国境を取り払って考えるべし

今日はハンガリーの革命および共和国宣言記念日です。
それに先立つ昨日22日、大使館で記念パーティーが開かれ、お呼ばれして出かけてまいりました。
こちらは大使のご挨拶。
日本・ハンガリーの修好140周年に当たります。


ハンガリー革命記念日とは1956年に起こった、昔は「ハンガリー動乱」と言われたものです。
私にも実はまっとうなフツーのOLをしていた時代がありまして、その頃の思い出の一つが共産圏向けの輸出書類の作成です(おお! 我ながらなんとまっとうな仕事を!!)。
あの頃は…というか今も一部そうですが、要は鉄のカーテンの向こうの社会主義国に精密機器を輸出する場合、当時の通産省の認可書類が必要だったんですね。
その認可を得るため書類を作っては通産省に通いました。
今みたいなPCはなく、あの頃は全部英文タイプ打ちだから間違えたらやり直しして、必死に持って行くわけですが。
「ここのタイプ文字が薄くなってる」とか「修正液を使ってあるのはダメ! やり直し」とか、つまらないイジメだか気まぐれだか分からない理由で何度も作りなおさせられたっけ……ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!

時代の流れはあっという間。
今は「共産圏」とか「ソ連」「社会主義」がすでに過去の歴史となっています。
旅行会社の研修に同行すると、そんな時代は教科書でしか知らないお嬢さんがたくさんいて、「鉄のカーテン」はおろか「ソ連に行ったことがある=ババァ」そのものになってしまったりする。
もうあと何年かすれば、訪ソ経験者は化石になるにちがいない。

で。
ハンガリー中欧を取材して常に思い知らされるのは「空白の寸断された歴史」と「入り組み分断された国境」。
例えば千年王国と言われ長い歴史を持ち一時は大帝国を築いた国も、20世紀末以降の民族独立や近代の歴史で翻弄され、第二次世界大戦後に英仏米ソがいいように国境を引いた揚句、すっかり小さな国となってしまった。
伝統ある国にも関わらず、歴史的名店は社会主義時代に国営となり、オーナー家族は行方知れずという例は多分、たくさんあるでしょう。

英仏独ソの都合で引いた国境ゆえ、ポーランドには取り残されたドイツ系民族がおり、またルーマニアトランシルヴァニアにも「母国はハンガリー」と今なおハンガリー語を話すハンガリー人が残っていたりします。
以前取材で出会ったルーマニア人記者の女性もトランシルヴァニア出身で、「私はハンガリー人だ」とハッキリ言っていたのが印象的でした。

フランスのアルザス・ロレーヌのように住民投票でフランスとなった地域はともかく「民族のるつぼ」たるバルカン地域を抱える中東欧は実に複雑に人も歴史も入り組んでおり、知れば知るほど欧州を現在の…ことに第2次大戦後の国境で考えることがナンセンスに思えてきたりするのです。

そういえばフランスとベルギー・フランダースの国境だってかつてはフランダースの一部でした。
今日こちらに私の記事が掲載されましたので、ご興味のある方はお時間のあるときにどうぞ。

http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=42603

http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=42683

ただし内容は思いっきり旅行業界向けです。
ベルギーのほか、先日のタイの取材記事もありました(ってか今気付くか(^_^;))。

http://www.tv-kikaku.com/thailand/2009/

こちらは無署名ですが、結構いいデキです(笑)。
すごいハードスケジュールでしたが充実した取材ができました。

EU化は欧州の巨大化であると同時に細分化。
これからの欧州、国境概念を取っ払って広域&小域的に見ると一層理解が深まるような気がします。