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ライターKababon(旅行、旅行業、舞台芸術);旅と舞台(主にバレエ、音楽)についての覚え書き

ウィーン(7)パパ・ハイドン:コツコツと没後200周年

「息子たちよ。このパパ・ハイドンのいるところに不幸は起こらないのだよ」

これは来年2009年のウィーンの主役、ハイドン先生が死に瀕した時に語った言葉です。

時は1809年5月31日。
欧州で大暴れしていたナポレオンがウィーンを包囲し、どっかんどっかんと大砲を撃ち込んでいました。
ハイドンの家「ハイドン・ハウス」の庭にも弾が落ちてきたそうですが、瀕死のパパは、死の床から震える付き人達を励ますために、冒頭の言を語ったとか。
なんだか職業音楽家としてコツコツ地道に勤め働き、結果名声と尊敬と得たハイドンの、「パパ」たる自信と人間性が感じられます。
そしてその数時間後、ウィーンはナポレオンの手に落ち、またハイドンも亡くなりました。
老衰、77歳でした。


ハイドンの晩年は宮廷社会から市民社会へ移り変わるとき。
同年代に活躍した作曲家にモーツァルトがいるように、またお弟子さんにベートーベンがいるように、音楽も貴族のものから市民のものへと移っていく時代でした。
ハイドンの音楽家としての位置付けは、いわば「時代への橋渡し」でしょうか。
ナポレオンがウィーンを包囲したその時に亡くなられた…というのは、何やら実に象徴的です。

ハイドン・ハウス」はハイドンが晩年から死ぬまで住んだ家で、現在は記念館。

直筆の楽譜や手紙、お気に入りのピアノや肖像画などがあります。
この家では「天地創造」や6つのミサ曲、なぜかドイツの国歌である「神よ、フランツ皇帝を守りたまえ」などが作られました。
特に「神よ、フランツ皇帝を守りたまえ」はパパ・ハイドン自身も相当お気に入りの曲で、毎日ピアノで弾いており、飼っていたオウムもその曲を歌っていたとか(*^_^*)

最後の直筆はお気に入りのピアノについて。

「4月1日。今日、私の素晴らしいピアノを200グルテンで売った」
…なんだか字が震えています。
ピアノを売るなんて、もう死を察した状態でなければしないでしょう。
なんだかとても泣ける一文です。

展示を見て思うのは、「地道にコツコツ」「基本の積み重ね・ゆるぎない土台の大切さ」とでも言いましょうか。
ハイドンは大工の父と料理人の母の間に生まれた、いわば音楽とは無縁の家系。
(詳細はWikiをどうぞ)
子供の頃、地元の教会で合唱隊として歌っていた時にその美声を認められたのが音楽の道に進むことになったきっかけです。

職業音楽家――つまり貴族のパトロンのもと、30年間依頼を受けて曲を作り、演奏し…を繰り返た、いわばサラリーマン音楽家とでもいいましょうか。
楽家の家系でなかったからこそ、勉強し、しっかりした土台を作りキャリアを積み上げ、退職して自由になった晩年に自身の曲を完成させた…という印象です。

帰国してから、ハイドンのCDを図書館で借りて聴きました。
「驚愕」「打楽器連打」「マリア・テレジア」「四季」などなど。
バロックはほとんど聴かず、ウィーン楽派や国民楽派といったものを主に聴いている身にしてみると。

「息子たちよ、これが基本なのだよ」

そう言われているような気がしてなりません(^_^;)
いや、おっしゃる通りです、パパ。

2009年はハイドン・イヤーとして、オーストリア政府観光局さんでは彼をを中心に観光PRをしていくそうです。
特別コンサートなどもやるようですので、興味のある方はこの機会にどうぞ。
ちなみにハイドン・ハウスは2009年1月まで改装・閉館の予定だそうです。