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ライターKababon(旅行、旅行業、舞台芸術);旅と舞台(主にバレエ、音楽)についての覚え書き

オーストリア・ザルツブルク(1):ハプスブルグとは別物のオーストリア

ザルツブルクに入りました。
雪ですがなんともキレイです。



欧米の雪国を訪れたことは何度もありますが、雪景色でこんなに美しい!と思ったところはそう多くありません。
なんとも情緒があります。

ドイツ語スペルはSalzbourgで、ドイツ語の標準発音なら「ザルツブルグ」。
でも現地読みでは「サルツブルク」になるそうです。
オーストリア政府観光局でも現地読みを尊重して一時「サルツブルク」とパンフに記載したところ「ミスプリントだ!」という電話がひっきりなしにかかってきたため、従来流通している「ザルツブルク」としたのだとか。
でも最後の「ク」は譲らなかったみたいです(笑)

このザルツブルクで有名なのは何と言ってもモーツァルト
生誕の家と、17歳から25歳まで住んだ家があります。
25歳でザルツブルクの盟主である大司教と喧嘩してウィーンに出て行ったモーツァルトは、自身は「ザルツブルク人」と思っていたとか。

というのも、今でこそ「オーストリアザルツブルク」ですが、1803年にナポレオンが攻めてくるまでは大司教が治める直轄領地として特別な「小国」でした。
つまり今で言うオーストリアでもなければハプスブルグ領でもなく、ドイツでもなかったわけです。

ナポレオンに攻め落とされたザルツブルクは、以後ハプスブルグ領や今で言うドイツ領になるなど転々とし、1817年のウィーン会議後、正式にオーストリア領になりました。
つまり「オーストリアと言えばハプスブルグ」というこの国の代名詞が通用しない、また無縁の町、ローマカトリック大司教と商人たちによる歴史を持つ独特な町なのですね。

ザルツブルクに最初に司教が置かれたのは7世紀。
ハプスブルク家の歴史は11世紀ですから、由緒的にはザルツブルクの方が古いわけです。
ドイツ諸侯に何度となく攻められた歴史はあるようですが、マリア・テレジアはじめ、ハプスブルクとの関係は良好で、ハプスブルクザルツブルクを攻め落とそうとは考えなかった…というのはガイドさんの談。
ですから、ザルツブルクとウィーンの間には、例えば京都と東京のような複雑な感情もあるようで。
いずこも同じか。