arT’vel -Review- : art × Travel/旅×アート レビュー

ライターKababon(旅行、旅行業、舞台芸術);旅と舞台(主にバレエ、音楽)についての覚え書き

新国立バレエ団「バレエ・リュス」(1):新国ならではのシーズン開幕

11月13日、待ちこがれた新国バレエのシーズン開幕です。
さらに15日、17日と3日間観てまいりました。

開幕のこの「バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング」はまず滅多に観ることのできない迫力のある、ディープな公演でした。
火の鳥」「アポロ」「結婚」という、100年前にバレエ界に革命を起こした「バレエ・リュス」の作品を開幕に持ってくるという、実に意欲的かつ挑戦的プログラムです。
芸術監督のビントレーさんならではのチョイスです。
「バレエ・リュス」はバレエを観るものにとっても、バレエの世界・歴史を知るうえでは本当に大切なものです。

また「ストラヴィンスキー・イブニング」という副題の通り、今回の音楽はすべてストラヴィンスキーです。
バレエファンのみならず、音楽ファンにとっても「踊り」が付いてこそ、その曲の奥深さや本当の意味がわかる、貴重な演目だったと思います。
実際、今回はクラシックファンも随分いらっしゃったようで、明らかにいつもの公演と客層が違っていました。
でも、こういうのはすごくいいことです。

プログラム等々、資料によれば、欧州のバレエはこのバレエ・リュスの興業が行われる前までは息も絶え絶えで、この興業によって息を吹き返し、現代に至るわけですから、ほんとうに「バレエ・リュス」がなかったら、現代のバレエはどうなっていたのやら…。
「バレエ・リュスを観ずしてバレエは語れない」というのが、とてもよくわかります。
実際に100年たっても全然色褪せないどころか、まだまだ斬新で、エキゾチックさも加わって新しく見えたりもするからすごい。

特に今回のプログラムで圧巻だったのが「結婚」です。
日本どころか世界でも生演奏付きで上演されることは滅多にない、ニジンスカ振り付けの作品です。
あの天才ダンサー・ニジンスキーの妹ですが、天才の妹も天才だったのか…。

「結婚」の曲自体は数年前のLFJで聴いて衝撃を受けた大好きな音楽です。
「ピアノは打楽器の一種」という認識もこの曲で目ウロコでしたし、何よりロシアの民族音楽・民謡・宗教音楽というのは個人的にめちゃくちゃ琴線に触れる。
ぜひ踊り付きで、生で観たいとずっと思っていた作品でした。
よくぞこれを上演してくれた、と心底思います。

今回の公演を機にDVDも入手して予習はしてましたが、映像と生じゃ、迫力も何もかもが全然違います。
打楽器の響きや床を踏みならす音、打楽器だからこその空気振動は映像じゃ伝わらない。
ここまで生の方が迫力あるのはまた滅多にないことではあるまいか。

上演前のオケピもすでに異様です。
真ん中にピアノが4台。
右手側にパーカッション。
左側に合唱団40人くらいに、ピアノの後ろにはソプラノ、アルト、テノール、バスのソリスト
ピアノを含む打楽器と声楽のみによる音楽なわけですね。

そして幕があき、ダンサーたちの衣装に、やはりぎょっとします、わかっていても。

女性一同、髪の毛をすっぽりくるみこんだ茶色の被り物。
花嫁だけが白の被り物。
衣装はロシア農民のサラファン、まあジャンスカみたいなものですが、これがまた茶色に白のブラウス。

そしてこの作品は最初から最後まで登場人物すべてが無表情です。
ニコリともしない。
髪を隠した被り物もあいまって、遠目から見るとカツラのない、つるっぱげのマネキンが踊っているような印象さえ受けます。

そして打楽器の土俗的パワー溢れる音楽にロシア語の合唱。
これから嫁にいく、花嫁の長い三つ編みは娘時代に暮らしていたコミュニティの絆・家族の絆の象徴です。

上手花嫁の父と母。
胸に手を当て微動だにしない。
でもマイレンパパ、これから「結婚」という儀式に向かう娘を送り出す父として、無表情なのに威厳と神妙さが伝わってくる。
この「結婚」の前に踊った「火の鳥」のカスチェイもすごく味わいがあったのですが、この人の演技力…というか表現力は底なしかと改めて思います。

ともかく。
ただでさえ言葉のないバレエの世界から、さらに表情まで取り去る大胆さ。
ひたすら続く無表情な群舞に、神妙な花嫁と微動だにしない両親なのに、見ているとどんどん切なくなってきてマジで泣けてくるんです。

なんでしょう。
ロシア語はわからないのに、声楽が「言葉」そして「表情」として無表情のマネキン、あるいは獣・生き物としての「人間」にシンクロして命を吹き込んでいるのでしょうか。

もちろん振り付けは歌詞の内容をなぞる、なんて無粋なことはしていません。
土俗儀式のように輪になったり縦になったり三角になったり。
ただ無表情に、打楽器と声楽に足を踏み鳴らす土俗的マツリです。
一種の「春の祭典」か、と思えど、儀式であるからやはり「結婚」です。

でも花嫁の不安や、娘を送り出すお母さん(千歳美香子さん)の切なさとか、結婚のはずなのに葬式のようだとか「子孫を残す儀式」的な野生の営みの「ハレ」の賑わいとか、いろいろなものが伝わってくるのです。
ムネアツです。

結婚式のシーンはまるで二重劇のように、舞台中央一段高いところに花嫁・花婿と両家の両親。
その前でひたすら男女の祝宴の郡舞が繰り広げられる。

ソロの男女(1st:古川さん&奥田さん、2nd:奥村君&奥田さん)が力強いです。
パワフルです。
舞台を踏み鳴らす足音さえもが音楽で、打楽器と合唱と踊りならではの世界にもうただただ、圧倒され、打ち震えます。
舞台音楽踊りのまさに一体化。

そんな群舞をよそに、静かに怯え、恥じらい、でもよりそう花嫁・花婿。
嫁と婿に踊りどころか動きもほとんどありません。
やがて新婚夫婦はおごそかに儀式本番の寝室に向かい、舞台上の舞台に幕が引かれます。

女性が「目を縦にして」重なりあう様と、男性が横広がりになる形は人間十字でしょうか。
十字架か…。
……まさに「儀式」であり、やはり「結婚」です……。

本当にこの作品が観られて良かったし、上演してくれて本当に感謝です。
生演奏付きで観ることなんてもうこの先いつ機会があるのやら。

それにしても、この「結婚」、100年前のバレエ団はもっとパワフルだったでしょうし、またパリの人たちは前情報などないでしょうから、相当に度肝を抜かれたでしょうね。

あ、願わくば群舞のキャスト全員名前は載せて欲しいもんです。
嫁や婿、両親はほとんど踊らず、まさに群舞があってこそのバレエですし。
ソロだけなんだもの。
群舞のメインは男女それぞれ3人いるんだから、最低でもその人達は載せて然るべき。
新国さん、そういうところがまだまだ…。

火の鳥」「アポロ」についてはまた別に。