arT’vel -Review- : art × Travel/旅×アート レビュー

ライターKababon(旅行、旅行業、舞台芸術);旅と舞台(主にバレエ、音楽)についての覚え書き

2014姫路(2):網干散歩で昔の西洋建築に出逢う

網干の町ですが、駅前に観光案内所みたいなのはなく、町中の「あぼしまち交流館」で地図をGET。
てか、ここまで来ないと地図がないのだ。
うまく辿り着けたからいいけど、迷ったら放浪。


ともかく。
デフォルト海なし県育ちなので、まずは海があるなら見に行きたい、ということで出かけていったのが網干浜。
「歩いて30分くらいかなー」なんて、交流館の方に明るく言われて、でも歩きました(笑)
川沿いに歩け、といわれた川は揖保川
そうめんの「揖保乃糸」です。
お隣の龍野(たつの市)が「揖保乃糸」の生まれ故郷だそうです。

浜は引き潮で、その向こうに見えるのが播磨灘



けぶってますが。
でも海を見ると旅情テンションがあがりますねー、やっぱり。

さて、これからどうするか、ということで地図を見たら、なんか異人館とか明治の煉瓦建築とか書いてある。
え?本当に大変失礼ながら、こんな人気の少ないうらさびれた港町に洋風建築!?
一体どういうこっちゃ、と思い訪問することにしました。

でも大丈夫だろうか、ぼろぼろになっているんじゃなかろうか。
明治から昭和初期の、ある意味時代の象徴の一つでもある西洋建築、擬洋風建築は貴重な遺構なのですが、老朽化や耐震設備を満たすための改修工事予算がないため取り壊され、消えていったもの、消える危機にあるものも少なくありません。
以前上野の旧岩崎邸を訪れたときも、案内の方が「もっぱらの懸案事項はとにかく修復維持費用が足りないこと」と言っていたのを思い出します。

観光的見地から言えば、明治の西洋建築や擬洋風建築は、日本人が見て、使って、大事にしないと滅びます。
なぜなら(当然ながら)欧米のお客様は全然興味を持たないし、アジアのお客様は六本木ヒルズスカイツリーのような近代的高層建築の方が好きだからです。
海外向けの観光素材にはなかなかなりにくいのです。
うまくホテルとかレストラン等々で利用できればまた違うのでしょうけどね。

というわけで、たどり着いたのがダイセル異人館
なんと「ダイセル」という会社の持ち物でした。
ダイセル」は1919(大正8)年、三井や三菱など8社合同で設立したセルロイド会社で、その会社の敷地内にある、会社所有の建物です。

会社の建物なら大事にしてもらえている、よかったよかった。

まずは胸をなでおろし、案内板を読んでみる。
つまりダイセル設立時にアメリカ、ドイツ、スイスなどから技師を招き、その技師たちが住んだ住居跡ということですね。

現在2棟が残り、姫路の需要文化財、近代遺産に指定されています。
ピンクの建物は会社のクラブハウスとして使われているので中に入れません。



入れませんが、建物は使われてナンボ。
大事にされている姿を見るのはなんだかウレシイものです。
たまに一般公開してくれるとなおありがたいのですが。

もう1棟の緑の建物は資料館になっており、守衛さんに申し出れば見学ができるそうです。



ただ会社の持ち物故か、見学ができるのは月~金のみ。
残念。
中には昔のキューピーさんや起き上がり人形といったセルロイド製品とか、創業当時の写真といった展示物があるそうです。
くー、見たかった。

西洋館の隣になぜかお稲荷さん。



昔からある日本の会社って、敷地内に神社があったりしますが、この西洋館と鳥居のコントラストがまた文明開化の時代の象徴のようですね。

洋風家屋に瓦屋根という、おそらく同時代の折衷様式の建物もあったんですが、これがなんだか説明がない。



でも使われている気配はあります。
こういう折衷様式というのが実はとてもおもしろいのですが。

というわけで、ダイセル異人館をあとにして、今度は町中へ。
昔の古い屋敷なんかも残っています。
こちらは庄屋さんの家で築300年だとか。



この他にも陣屋跡などもあり、結構栄えた跡が残っています。
日本家屋の間に、煉瓦の西洋建築が旧網干銀行が見えます。



昔の、特に政府系の西洋建築または擬洋風建築はプロパガンダのひとつでもありました。
つまり「もうちょんまげの時代じゃないんだぞ!」という、誰の目にもわかる広告塔です。
情報や通信が今のように全国くまなく、津々浦々まで発達していない明治の頃は、こうして町の主要な建物――役所、県庁など――を西洋建築にすることで、新時代の幕開けをアピールしていたわけです。
銀行や地域の主要産業系の建物なども、それにならい、西洋風のものが建てられていった――というのは明治の建築家、ジョサイア・コンドルについての本にあったのですが。

いずれにしてもこういう建築は財力がないと建てられません。
つまり西洋建築や擬洋風建築のある町というのは、建てられた時代に、それなりの財力がある(あるいは財力のある企業がある)、またその地域の主要な町の一つであったことが伺えます。

で、その旧網干銀行ですが。

建てられたのは1921(大正10)年。
…「明治の煉瓦建築」って地図には書いてあるけど、まぁいいや。
建築家は不明という、「詠み人知らず」の建物です。

網干銀行自体は1930(昭和5)年に三十八銀行に買収され消滅し、さらに三十八銀行も1936(昭和11)年に神戸銀行に吸収されたそうです。
建物は戦後1970(昭和45)年に現在の洋品店となり、今なお現役です。
が、商店街の一角であるためアーケードがじゃますぎ(苦笑)



でも生きているだけいいのかなぁ。
とはいえ、この商店街自体がすっかりシャッター通りで、お化けがでそうなくらい幌が破れています。

でも威厳がありますね。
漁村をぬけ古い平屋の庄屋さんの屋敷群のなかに、この青銅葺きの丸屋根を戴いた煉瓦の建物が出現した風景は、さぞや異風を放っていたにちがいありません。

ちゃんと調べたわけではありませんが、町の感じからすると、漁業や海上交通の主要地点の一つとして栄え、しかし鉄道、道路の発達で姫路を中心とする輸送ルートの変遷とともに、町も姿を変えていった…という推測ができるかな。

ふらりと訪れたけど、西洋建築の収穫があって結構満足です。
味がありますね。
小さい町ですが町の歩みとしての歴史が静かに残っていました。

そういえば住所に「余子浜(ヨコハマ)」って表示があった。
どうしたって「横浜」を思い出しますが、地名相似かな?
なんか面白気になるのでメモっておきます。


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